琵琶湖の風をつかみ、滑るように進むヨットがあった。15歳以下で争う全日本OP選手権。1998年の女子の部を制したのが、中学3年の田畑だった。
「身体能力が高いし、体も頑丈そう」。三船和馬(60)は日本が不参加だった80年のモスクワ五輪日本代表。99年に発足する福岡第一高ヨット部のコーチ就任が決まっており、1期生を探すために湖畔からレースを見つめていた。素早い身のこなしが目を引いた。
田畑が三船に声を掛けられたのは秋。進路選択を考える時間はあまりなく、当時住んでいた兵庫県西宮市から同高の練習拠点になる福岡市のヨットハーバーに足を運んだ。「学校から海が近く、ヨットを突き詰められる」。縁もゆかりもない土地で、田畑も含めヨット部員は1期生2人のみ。それでも迷いはなかった。
高2の春から福岡に移り住んだ家族のサポートも受け、翌年の全国総体で優勝を飾った。進学した第一経済大(現・日本経済大)では女子470級のスキッパーとして、クルーの栗田直美とペアを結成。世界選手権代表となり、2006年の全日本選手権も制した。同級の北京五輪代表は手の届くところまできていた。
ここに強力なライバルが出現する。近藤愛、鎌田奈緒子組。五輪前に世界ランキング1位となったペアに夢を奪われた。コンビを組んだ栗田が競技の第一線から退いた一方、田畑は不完全燃焼の思いが残っていた。「まだ自分が納得するまでやりきれていない」。ただ、4年後のロンドンを目指すためには、新たなパートナーが必要だった。
そのころ、近藤が鎌田とのペアを解消してクルーを探している、という話を聞いた。北京五輪で14位に終わったライバルも五輪への情熱を捨て切れていなかったのだ。「わたしがクルーをやったら面白いかもしれない」。田畑は3歳上の近藤に、決意を打ち明けた。
【競技メモ】 ロンドン五輪のセール競技は男女の470級を始め、男子6、女子4の計10種目で争われる。470級は10レースを行い、各レースで1位に1点、2位に2点など順位に応じた得点が与えられる。10レースを終えた時点で得点が少ない10艇がメダル決定レースに進出。同レースと10レースの合計で最小得点の艇が金メダルとなる。
(西日本新聞より転載)
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